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東畑建築事務所の歩み 1932~1939
東畑 謙三
KENZO TOHATA- 1902年 (明治35年)
- 三重県一志郡嬉野町生まれ
- 1926年
- 京都大学工学部建築学科卒業
- 1927年
- 京都大学大学院入学
- 1929年
- 外務省嘱託として東方文化学院京都研究所設計に携わる
- 1932年
- 東畑謙三建築事務所開設
- 1951年
- 組織変更により東畑建築事務所開設、代表取締役に就任
- 1998年 4月没
- (1933) 東亜紡織楠工場
- (1933) 中央毛糸紡績四日市工場
- (1933) 関西ペイント東京工場
- (1934) 渡辺栄一商店築港工場・倉庫
- (1934) 徳山鉄板帯鉄工場
- (1935) 長岡禅塾
- (1935) 日本生命神戸支店
- (1935) 大町紡績大町工場
- (1936) 浜名紡績新居工場
- (1936) 日本生命済生会日生病院別館
- (1936) 福助足袋分工場
- (1937) 豊科紡績豊科工場
- (1937) 天津紡績公司工場増築
- (1937) 呉羽紡績天津工場
- (1937) 富国人絹パルプ祖父江工場
- (1938) 呉羽紡績大垣工場
- (1938) 東亜紡織大垣工場
- (1938) 国産電機新工場
- (1939) 石川製作所工場他
- (1939) 東畑謙三建築事務所分室
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1932COMPANY
東畑謙三建築事務所開設
所員数5名
SOCIETY五・一五事件
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SOCIETY
日本・国際連盟を脱退
大阪市営地下鉄御堂筋線
梅田?心斎橋間開通(日本初の地下鉄)「青年建築家クラブ」結成
ブルーノ・タウト来日 -
SOCIETY
室戸台風、死者行方不明3,036人
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SOCIETY
独、初のアウトバーン開通
(フランクフルト?ダルムシュタット)
磨き板ガラスの製造開始 -
1936WORKS
浜名紡績新居工場
当時工場建築ではトラス構造が主流であったが、紡績工場の設計にあたり浮遊糸くずの付着が少ない単材による鉄骨ラーメン構造を採用した。アルバート・カーンの「クライスラー工場」との類似点が多く見られる。
SOCIETY二・二六事件
「建築雑誌」発刊
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1937WORKS
豊科紡績豊科工場
鉄の使用が制限された
社会情勢の中で、木材による構造体を次々と考案していく鉄の使用が制限された
社会情勢の中で、木材による構造体を次々と考案していくCOMPANY設計監理のため中国に所員派遣
SOCIETY日中戦争始まる
防空法公布 -
SOCIETY
国家総動員法
商工省築造工作物の鉄鋼使用を全面的禁止 -
1939COMPANY
大阪府豊中市に分室設置
SOCIETYノモンハン事件
第二次世界大戦